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こんにちは!グランデです。今回もバックナンバーです。若干文も変更しています。
さて、テストを終えて、さっぱりした気持ちで書く、第2回。
予告していた通り、「SASUKEトライアル出場記」を書きます。
2004年6月13日
2003年の冬、緊張と期待の中、いざ聖地緑山へ。
SASUKEとの対面。あの強烈なオーラは、聖地緑山の脅威ともいえるものでした。それを感じた時、言葉を失いました。というか、その時周りに知り合いがいなかったため、喋ってなかったのですがね。この脅威に過去何百人とも打ちのめされていると考えると、鳥肌が立ちます。人を寄せ付けない何かがあるのでしょう。
数十分後、競技の説明をし、いよいよSASUKEトライアルが開始しました。僕がやった回は、第13回SASUKEのトライアル最終回でした。気付いたのは放送後ですが。挑戦者を見て、いろいろなデータを採取しました。この回は、クリア者がいなかったので、部分部分のデータを採取しました。
この頃、僕が細心の注意を払っていたのは、ローリング丸太です。学校で、高校物理の公式などを聞き、計算して、この身にどれ位の力がかかるのか、どうすればクリアできるかなどを構想していました。それでも、目の前で落ちている人を見ると、自分の力に不安が残ります。もともとマイナス志向の強い僕が、この状況に立たされると、精神的に参ってしまいます。友達Y君曰く「五段飛びで落ちるんじゃない」とか言われると、本当に落ちてしまうのではないかと考えてしまい、緊張と不安で心が締め付けられます。深呼吸しても直らないくらい、重度でした。
そうこうしているうちに、そろそろ自分の出番が来る頃でした。入念にデータの整理とイメージトレーニングをし、不安を無くそうと心掛けましたが、緊張がそれを拒み、なかなかなくすことはできませんでした。これもある意味、聖地の脅威かもしれません。
そして、スタンバイがかかり、スターと地点に向かいました。手と足に滑り止め、頭には当日作成した「SASUKE魂」のはちまき、上半身は高校のクラスTシャツ、下はジャージで挑みました。カメラが回るまで、スタート地点で座っていましたが、ローリング丸太でそれより先が見えません。それより、五段飛びとローリング丸太が異様に近く見えました。これは要注意ですよ。
ついに、本番のカウントダウンが・・・
「本番5秒前、4、3、2、・・・・・」
極度の緊張と不安の中、収録スタート。僕の紹介の実況が始まり、すぐにスタートのカウントダウンが、
「ポ、ポ、ポ、ポーン!」
勢いよくダッシュし、五段飛びへ。一歩目で水面ギリギリを踏んだが二歩目で修正。3、4と軽快に駆け抜け、手を使わずに着地。友達Yの予想をクリアしました。
さあ、警戒していたローリング丸太。中央部にまたがり、長い足で台をけりローリング開始。自分の持てる力を振り絞り、手、腕、足を丸太に密着させ、ロォーリング。とてつもない遠心力が自分の背中から外側に、自分を丸太から引き剥がそうとします。僕は叫び、底力を発動し、最後の踏ん張りをしました。計算から、4~5回転で終了すると読んでいたので5回転目まで辛抱しました。そしたら、回転が遅くなり、ゆらゆらしていました。
「やった・・・クリアした・・・」
そのことで頭がいっぱいになり、少しふらついた足で次のエリアへ。しかし、悲劇はそこに。ジャンプハングのことを考えて、早く行こうと焦ったせいか、一歩目が重心をはずれ、台は回転し、二歩目を踏む余裕を無くし、そのまま、水の中へ・・・
目の前が一転、泥水になり、意外と深い池で溺れそうになりましたが、水面に顔を出して足をつけてみると、顎下ぐらいの深さでした。とりあえず池から這い上がり、インタビューを受けました。
「・・・クォーターブリッジは研究してなかったんですよ・・・」
あれは本当です。当時研究していたのは、ローリング丸太、ジャンプハング、そり立つ壁、でした。それ以外は何とかクリアできると自信過剰だったのでしょうね。
終了後はシャワーを浴び、用意していた着替えで着替えていたんですが、ここにも用意してなかったものが!それは靴です。SASUKEジュニアの時、下着を持ってくるのを忘れ、危うくそういう事態になるところでした。終わった場所がパワーローリングだったので水に入らなかったので。ま、そのせいでカットだったのでしょう。びちょびちょの靴をストーブで乾かし裸足で帰りました。
こんなところです。いかがだったでしょうか。次回はSASUKE出場記。
さて、テストを終えて、さっぱりした気持ちで書く、第2回。
予告していた通り、「SASUKEトライアル出場記」を書きます。
2004年6月13日
2003年の冬、緊張と期待の中、いざ聖地緑山へ。
SASUKEとの対面。あの強烈なオーラは、聖地緑山の脅威ともいえるものでした。それを感じた時、言葉を失いました。というか、その時周りに知り合いがいなかったため、喋ってなかったのですがね。この脅威に過去何百人とも打ちのめされていると考えると、鳥肌が立ちます。人を寄せ付けない何かがあるのでしょう。
数十分後、競技の説明をし、いよいよSASUKEトライアルが開始しました。僕がやった回は、第13回SASUKEのトライアル最終回でした。気付いたのは放送後ですが。挑戦者を見て、いろいろなデータを採取しました。この回は、クリア者がいなかったので、部分部分のデータを採取しました。
この頃、僕が細心の注意を払っていたのは、ローリング丸太です。学校で、高校物理の公式などを聞き、計算して、この身にどれ位の力がかかるのか、どうすればクリアできるかなどを構想していました。それでも、目の前で落ちている人を見ると、自分の力に不安が残ります。もともとマイナス志向の強い僕が、この状況に立たされると、精神的に参ってしまいます。友達Y君曰く「五段飛びで落ちるんじゃない」とか言われると、本当に落ちてしまうのではないかと考えてしまい、緊張と不安で心が締め付けられます。深呼吸しても直らないくらい、重度でした。
そうこうしているうちに、そろそろ自分の出番が来る頃でした。入念にデータの整理とイメージトレーニングをし、不安を無くそうと心掛けましたが、緊張がそれを拒み、なかなかなくすことはできませんでした。これもある意味、聖地の脅威かもしれません。
そして、スタンバイがかかり、スターと地点に向かいました。手と足に滑り止め、頭には当日作成した「SASUKE魂」のはちまき、上半身は高校のクラスTシャツ、下はジャージで挑みました。カメラが回るまで、スタート地点で座っていましたが、ローリング丸太でそれより先が見えません。それより、五段飛びとローリング丸太が異様に近く見えました。これは要注意ですよ。
ついに、本番のカウントダウンが・・・
「本番5秒前、4、3、2、・・・・・」
極度の緊張と不安の中、収録スタート。僕の紹介の実況が始まり、すぐにスタートのカウントダウンが、
「ポ、ポ、ポ、ポーン!」
勢いよくダッシュし、五段飛びへ。一歩目で水面ギリギリを踏んだが二歩目で修正。3、4と軽快に駆け抜け、手を使わずに着地。友達Yの予想をクリアしました。
さあ、警戒していたローリング丸太。中央部にまたがり、長い足で台をけりローリング開始。自分の持てる力を振り絞り、手、腕、足を丸太に密着させ、ロォーリング。とてつもない遠心力が自分の背中から外側に、自分を丸太から引き剥がそうとします。僕は叫び、底力を発動し、最後の踏ん張りをしました。計算から、4~5回転で終了すると読んでいたので5回転目まで辛抱しました。そしたら、回転が遅くなり、ゆらゆらしていました。
「やった・・・クリアした・・・」
そのことで頭がいっぱいになり、少しふらついた足で次のエリアへ。しかし、悲劇はそこに。ジャンプハングのことを考えて、早く行こうと焦ったせいか、一歩目が重心をはずれ、台は回転し、二歩目を踏む余裕を無くし、そのまま、水の中へ・・・
目の前が一転、泥水になり、意外と深い池で溺れそうになりましたが、水面に顔を出して足をつけてみると、顎下ぐらいの深さでした。とりあえず池から這い上がり、インタビューを受けました。
「・・・クォーターブリッジは研究してなかったんですよ・・・」
あれは本当です。当時研究していたのは、ローリング丸太、ジャンプハング、そり立つ壁、でした。それ以外は何とかクリアできると自信過剰だったのでしょうね。
終了後はシャワーを浴び、用意していた着替えで着替えていたんですが、ここにも用意してなかったものが!それは靴です。SASUKEジュニアの時、下着を持ってくるのを忘れ、危うくそういう事態になるところでした。終わった場所がパワーローリングだったので水に入らなかったので。ま、そのせいでカットだったのでしょう。びちょびちょの靴をストーブで乾かし裸足で帰りました。
こんなところです。いかがだったでしょうか。次回はSASUKE出場記。
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Guten Tag!Ich heisse Grande.(今晩は、グランデです。)
今回からは「佐助記バックナンバー」と題し、別ページの「佐助記」を移行する作業に移りたいと思います。
2004年5月9日
記念すべき、第1回目の「佐助記」。
まず、SASUKE挑戦への道のり、まさに「The Way of SASUKE」又は「Road to SASUKE」を語ります。途中、SASUKEとは無関係かもしれないものもありますが、悪しからず・・・
そもそも「SASUKE」というものを知ったのは、「筋肉番付」時代の頃、ちょうど僕が小学校中学年ぐらいの頃からです。しかし、初めに興味を持ったのは「SASUKE」ではなく、「筋肉番付の各競技」の方でした。
僕が「筋肉番付」に初めて挑戦した競技は、小5の時の「キックターゲット全国大会」でした。聖地緑山に足を踏み込んだのも、これが最初です。しかし、全国大会だったので、予選を通過しなければなりません。その壁を僕は越えることが出来ませんでした。
次に挑戦したのは、小6のとき、僕の原点とも言える競技、「SASUKEジュニア」でした。この頃から運命は決まっていたのかも知れません。結果は、パワーローリング(1stステージの最終エリア)で時間切れでした。
時は進み中1の頃、「ストラックアウト全国大会」に出場しました。これも、予選ありです。友達3人と一緒に挑戦しました。僕は友達の中で一番最後に投げました。しかし、友達全員は野球経験者で、大会前日に僕に手ほどきをした人なのに、全員ストライクゾーンを射抜くことが出来ませんでした。最後に僕が投げたら、その悪い流れを一掃し、射抜く事が出来ました。4人中僕だけ予選通過でした。しかし、本番の「ストラックアウト2001」は、記録0枚でした。
中2の頃、挑戦したのが、「アメージングロード」です。これも、SASUKEの1つのエリアみたいなものかと・・・。結果は、第3・4マシンで足を取られて水の中へ。これもはっきりと心に残っています。
中3は受験シーズンだったので、出場はしませんでした。しかし、この頃から「SASUKE」に興味を持ち始め、出場も考えていました。しかし、中学生が出場できないことを知り、高校生になるまで我慢しました。
高校にも合格し、余韻に浸っている4月上旬、SASUKE研究計画を発足させました。ちょうど、SASUKE2003春が放送し、出場したい思いが込み上がってきた時で、予習というか準備というかそんな感じで考えていました。そして4月27日、「The Way of SASUKE(SASUKEへの道)」を開設しました。あれから1年過ぎましたね。まだまだです。
高校生活が安定した夏、初めてのSASUKEに応募しました。神様にすがる思いで応募しましたが、当選しませんでした。仕方の無いことですが。なんせ、応募率が60倍、60人に1人しか出場できないのですから。
SASUKE2003秋が放送し、研究を続けていた晩秋、今回から始まった「SASUKEトライアル」に応募して長い月日後ぐらいに、一本の電話がありました。
「SASUKEトライアルに出場してください。」
嬉しさのあまり、声は出ましたが、放心状態でした。念願の「SASUKE」(トライアル)にでれる・・・と思いつつ。この時から、僕の「SASUKE」は始まりました。
SASUKEに出場した理由は、サスケオールスターズに憧れていた事と、自分の能力を発揮したかった事と、TVに出て目立ちたかった事です。
次回は、トライアル出場記。
今回からは「佐助記バックナンバー」と題し、別ページの「佐助記」を移行する作業に移りたいと思います。
2004年5月9日
記念すべき、第1回目の「佐助記」。
まず、SASUKE挑戦への道のり、まさに「The Way of SASUKE」又は「Road to SASUKE」を語ります。途中、SASUKEとは無関係かもしれないものもありますが、悪しからず・・・
そもそも「SASUKE」というものを知ったのは、「筋肉番付」時代の頃、ちょうど僕が小学校中学年ぐらいの頃からです。しかし、初めに興味を持ったのは「SASUKE」ではなく、「筋肉番付の各競技」の方でした。
僕が「筋肉番付」に初めて挑戦した競技は、小5の時の「キックターゲット全国大会」でした。聖地緑山に足を踏み込んだのも、これが最初です。しかし、全国大会だったので、予選を通過しなければなりません。その壁を僕は越えることが出来ませんでした。
次に挑戦したのは、小6のとき、僕の原点とも言える競技、「SASUKEジュニア」でした。この頃から運命は決まっていたのかも知れません。結果は、パワーローリング(1stステージの最終エリア)で時間切れでした。
時は進み中1の頃、「ストラックアウト全国大会」に出場しました。これも、予選ありです。友達3人と一緒に挑戦しました。僕は友達の中で一番最後に投げました。しかし、友達全員は野球経験者で、大会前日に僕に手ほどきをした人なのに、全員ストライクゾーンを射抜くことが出来ませんでした。最後に僕が投げたら、その悪い流れを一掃し、射抜く事が出来ました。4人中僕だけ予選通過でした。しかし、本番の「ストラックアウト2001」は、記録0枚でした。
中2の頃、挑戦したのが、「アメージングロード」です。これも、SASUKEの1つのエリアみたいなものかと・・・。結果は、第3・4マシンで足を取られて水の中へ。これもはっきりと心に残っています。
中3は受験シーズンだったので、出場はしませんでした。しかし、この頃から「SASUKE」に興味を持ち始め、出場も考えていました。しかし、中学生が出場できないことを知り、高校生になるまで我慢しました。
高校にも合格し、余韻に浸っている4月上旬、SASUKE研究計画を発足させました。ちょうど、SASUKE2003春が放送し、出場したい思いが込み上がってきた時で、予習というか準備というかそんな感じで考えていました。そして4月27日、「The Way of SASUKE(SASUKEへの道)」を開設しました。あれから1年過ぎましたね。まだまだです。
高校生活が安定した夏、初めてのSASUKEに応募しました。神様にすがる思いで応募しましたが、当選しませんでした。仕方の無いことですが。なんせ、応募率が60倍、60人に1人しか出場できないのですから。
SASUKE2003秋が放送し、研究を続けていた晩秋、今回から始まった「SASUKEトライアル」に応募して長い月日後ぐらいに、一本の電話がありました。
「SASUKEトライアルに出場してください。」
嬉しさのあまり、声は出ましたが、放心状態でした。念願の「SASUKE」(トライアル)にでれる・・・と思いつつ。この時から、僕の「SASUKE」は始まりました。
SASUKEに出場した理由は、サスケオールスターズに憧れていた事と、自分の能力を発揮したかった事と、TVに出て目立ちたかった事です。
次回は、トライアル出場記。
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