×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
Guten Tag!Ich heisse Grande.(今晩は、グランデです。)
今回からは「佐助記バックナンバー」と題し、別ページの「佐助記」を移行する作業に移りたいと思います。
2004年5月9日
記念すべき、第1回目の「佐助記」。
まず、SASUKE挑戦への道のり、まさに「The Way of SASUKE」又は「Road to SASUKE」を語ります。途中、SASUKEとは無関係かもしれないものもありますが、悪しからず・・・
そもそも「SASUKE」というものを知ったのは、「筋肉番付」時代の頃、ちょうど僕が小学校中学年ぐらいの頃からです。しかし、初めに興味を持ったのは「SASUKE」ではなく、「筋肉番付の各競技」の方でした。
僕が「筋肉番付」に初めて挑戦した競技は、小5の時の「キックターゲット全国大会」でした。聖地緑山に足を踏み込んだのも、これが最初です。しかし、全国大会だったので、予選を通過しなければなりません。その壁を僕は越えることが出来ませんでした。
次に挑戦したのは、小6のとき、僕の原点とも言える競技、「SASUKEジュニア」でした。この頃から運命は決まっていたのかも知れません。結果は、パワーローリング(1stステージの最終エリア)で時間切れでした。
時は進み中1の頃、「ストラックアウト全国大会」に出場しました。これも、予選ありです。友達3人と一緒に挑戦しました。僕は友達の中で一番最後に投げました。しかし、友達全員は野球経験者で、大会前日に僕に手ほどきをした人なのに、全員ストライクゾーンを射抜くことが出来ませんでした。最後に僕が投げたら、その悪い流れを一掃し、射抜く事が出来ました。4人中僕だけ予選通過でした。しかし、本番の「ストラックアウト2001」は、記録0枚でした。
中2の頃、挑戦したのが、「アメージングロード」です。これも、SASUKEの1つのエリアみたいなものかと・・・。結果は、第3・4マシンで足を取られて水の中へ。これもはっきりと心に残っています。
中3は受験シーズンだったので、出場はしませんでした。しかし、この頃から「SASUKE」に興味を持ち始め、出場も考えていました。しかし、中学生が出場できないことを知り、高校生になるまで我慢しました。
高校にも合格し、余韻に浸っている4月上旬、SASUKE研究計画を発足させました。ちょうど、SASUKE2003春が放送し、出場したい思いが込み上がってきた時で、予習というか準備というかそんな感じで考えていました。そして4月27日、「The Way of SASUKE(SASUKEへの道)」を開設しました。あれから1年過ぎましたね。まだまだです。
高校生活が安定した夏、初めてのSASUKEに応募しました。神様にすがる思いで応募しましたが、当選しませんでした。仕方の無いことですが。なんせ、応募率が60倍、60人に1人しか出場できないのですから。
SASUKE2003秋が放送し、研究を続けていた晩秋、今回から始まった「SASUKEトライアル」に応募して長い月日後ぐらいに、一本の電話がありました。
「SASUKEトライアルに出場してください。」
嬉しさのあまり、声は出ましたが、放心状態でした。念願の「SASUKE」(トライアル)にでれる・・・と思いつつ。この時から、僕の「SASUKE」は始まりました。
SASUKEに出場した理由は、サスケオールスターズに憧れていた事と、自分の能力を発揮したかった事と、TVに出て目立ちたかった事です。
次回は、トライアル出場記。
今回からは「佐助記バックナンバー」と題し、別ページの「佐助記」を移行する作業に移りたいと思います。
2004年5月9日
記念すべき、第1回目の「佐助記」。
まず、SASUKE挑戦への道のり、まさに「The Way of SASUKE」又は「Road to SASUKE」を語ります。途中、SASUKEとは無関係かもしれないものもありますが、悪しからず・・・
そもそも「SASUKE」というものを知ったのは、「筋肉番付」時代の頃、ちょうど僕が小学校中学年ぐらいの頃からです。しかし、初めに興味を持ったのは「SASUKE」ではなく、「筋肉番付の各競技」の方でした。
僕が「筋肉番付」に初めて挑戦した競技は、小5の時の「キックターゲット全国大会」でした。聖地緑山に足を踏み込んだのも、これが最初です。しかし、全国大会だったので、予選を通過しなければなりません。その壁を僕は越えることが出来ませんでした。
次に挑戦したのは、小6のとき、僕の原点とも言える競技、「SASUKEジュニア」でした。この頃から運命は決まっていたのかも知れません。結果は、パワーローリング(1stステージの最終エリア)で時間切れでした。
時は進み中1の頃、「ストラックアウト全国大会」に出場しました。これも、予選ありです。友達3人と一緒に挑戦しました。僕は友達の中で一番最後に投げました。しかし、友達全員は野球経験者で、大会前日に僕に手ほどきをした人なのに、全員ストライクゾーンを射抜くことが出来ませんでした。最後に僕が投げたら、その悪い流れを一掃し、射抜く事が出来ました。4人中僕だけ予選通過でした。しかし、本番の「ストラックアウト2001」は、記録0枚でした。
中2の頃、挑戦したのが、「アメージングロード」です。これも、SASUKEの1つのエリアみたいなものかと・・・。結果は、第3・4マシンで足を取られて水の中へ。これもはっきりと心に残っています。
中3は受験シーズンだったので、出場はしませんでした。しかし、この頃から「SASUKE」に興味を持ち始め、出場も考えていました。しかし、中学生が出場できないことを知り、高校生になるまで我慢しました。
高校にも合格し、余韻に浸っている4月上旬、SASUKE研究計画を発足させました。ちょうど、SASUKE2003春が放送し、出場したい思いが込み上がってきた時で、予習というか準備というかそんな感じで考えていました。そして4月27日、「The Way of SASUKE(SASUKEへの道)」を開設しました。あれから1年過ぎましたね。まだまだです。
高校生活が安定した夏、初めてのSASUKEに応募しました。神様にすがる思いで応募しましたが、当選しませんでした。仕方の無いことですが。なんせ、応募率が60倍、60人に1人しか出場できないのですから。
SASUKE2003秋が放送し、研究を続けていた晩秋、今回から始まった「SASUKEトライアル」に応募して長い月日後ぐらいに、一本の電話がありました。
「SASUKEトライアルに出場してください。」
嬉しさのあまり、声は出ましたが、放心状態でした。念願の「SASUKE」(トライアル)にでれる・・・と思いつつ。この時から、僕の「SASUKE」は始まりました。
SASUKEに出場した理由は、サスケオールスターズに憧れていた事と、自分の能力を発揮したかった事と、TVに出て目立ちたかった事です。
次回は、トライアル出場記。
PR
この記事にコメントする